(第五回)私の息子は転校生 2018.12.17

私は今、大館能代空港の搭乗口にいる。9月の連休最終日。冷たい秋の空気に包まれながら、東京へ戻る飛行機に乗った。
朝夕2回、羽田からの飛行機が降り立つこの小さな空港が、今日は人で溢れていた。東京から戻って来た人たち、そして東京へと帰ってゆく人たち。送迎に来た家族の温かさでいっぱいだった。
私は、何度この空港を訪れただろう。今ではすっかり常連さんの仲間入り。
でも、1年前の今頃は、まさか私がここにいるなんて予想もしていなかった。

 

そもそも九州生まれ・九州育ちの私にとって、東北というのは外国よりも遠い場所だった(これは九州“あるある”話。例えば、福岡からソウルへのフライトは1時間20分。福岡・東京間よりも早く到着する。価格面でも東北・北海道へ行くより韓国旅行の方が断然安い)。
学生時代、北海道は1度だけ旅行で訪れたことがあるけれど、その手前の東北はアラフォーになるこの歳までほぼ未体験ゾーンだった。
おそらく、東日本にお住まいの方が、「沖縄には行ったことあるけど、九州はないんだよね」と、サラリと言うのと似た感じかもしれない。
そんな私が、東北にこんなにもご縁いただくことになったのには理由がある。
それは、私のひとり息子がこのまちに住むことになったからだ。

 

2018年元旦に発令された私の転勤を機に(まさに、このZAB(全国空き家バンク推進機構)への出向)、私たち親子は、住み慣れた九州を離れ東京へ移ることになった。
昨年末この話があったとき、息子はどう思うだろうかと思った。ひょっとしたら、友達と離れたくないと言うかもしれない。その日の夜、私はいくつかのパターンを用意し、緊急の家族会議を開いた。当時、小学4年生の息子は、好奇心に溢れる眼差しで私を見ながら二つ返事。理由を訊くと、「1度、転校生になってみたかったんだよね」と、なんとも軽いノリだった。私は完全に肩すかしを食らい、あっという間に会議は終了した。それから私は、東京の小学校へ転校する準備を始めた。引っ越しのタイムリミットが近づく週末、何度も東京に通い、小学校とセットで住まいを探し続けた。
ところが蓋を開けてみると、息子が選んだのは秋田県にある公立の小学校だった。

 

秋田県といえば、甲子園を沸かせた金足農業高校ナインの姿は記憶に新しい。その秋田県の県都・秋田市から北東へ約60キロメートル、秋田県北部の中央に位置する北秋田市(ざっくり言うと青森県寄り)で、私の息子は暮らしている。人口約33千人のこのまちは、山間部の積雪量が多く、冬季は絶好のスキーシーズンとなる。冒頭の大館能代空港はこの北秋田市内にある空港で(市街地から車で15分)、交通アクセスにも恵まれたまちである。私たち親子は、今やすっかりこのまちの虜になってしまった。

このまちのポテンシャルを感じたのは「教育留学」という国内留学制度の存在を知ったときだ。海外留学は、私自身ずっと興味があったけれど、費用面でも時間面でも我が家にとって容易ではないという印象を持っていた。そんなとき、留学が国内でも出来るというこの言葉に身体中に電気がビビッと走った。ある意味“一目惚れ”だった。

 

この制度を知った5日後に、当時、息子の担任をしていた先生からの応援もあり、息子と二人で「プライベート体験ツアー」を実施した。韓国よりも遠い東北へ、23日の弾丸旅行だった。
九州から羽田空港へ。そして羽田空港で乗り換え大館能代空港へ。羽田空港からのフライト時間は約1時間。離陸後の飲み物サービスを楽しんだかと思えば、あっという間に着陸態勢。大館能代空港目掛けて降下する機体の外には、濃い緑色の山々が連なっていた。九州とはまた違う景色だった。
これは後から聞いた話だけれど、私が「また来ます」と言った5日後に、“本当に”息子を連れて現れたものだから、皆さんかなり驚いたようだ。これは今では笑い話。でも、当時の私はそんなこととはいざ知らず、ただ、北秋田市の皆さんが、突然やってきた私たち親子を温かく迎え入れてくれたことが本当に嬉しく、奇跡のような時間だった。縁もゆかりもないこのまちに、息子と飛び込んでみようと思えたのは、この日のことがあったからかもしれない。

 

夕陽沈む阿仁川は息をのむ美しさ。時間が止まります。

いけ

いけ 別府生まれ・別府育ち。趣味は海鑑賞・ヨガ・寝ること。

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