(第八回)「幸せのかたち」を模索する [前編] 2019.1.7

幸せとは何か。
古代ギリシア・ローマの時代から、あらゆる哲学者が問い続けてきたテーマだ。

新春、日経新聞は「新幸福論 Tech2050」と題して、人類の幸福のあり方・新たな価値観に対する連載を始めた。経済新聞の1面というところが、ますます興味を引く。

 

市役所で国保の窓口業務をしていた38ヶ月は、この問いの繰り返しだった。

窓口で担当していた業務は高額療養費。「高額な療養」というくらいだから、病気の治療費が毎月何十万円という人たちが私の主なクライアント。何十万円も治療費がかかる病気とはどういうものか。その状態が何ヶ月も何年も継続するというのはどういうことか、家族からの話や本人の涙を見ながら追体験している自分がいた。そして、努力ではどうにもならないことが沢山あることを知った。

 

人は、それぞれ求めるものが違う。

ある人はお金が欲しいと願い、ある人は健康になりたいと願う。そしてある人は、子どもが欲しいと願い、またある人は肩書きが欲しいと願う。様々な「幸福のかたち」を見た。

 

私の「幸せ」は何だろう。

その頃からだろうか。年末年始の連休に、ふと自分というものを振り返るようになった。

日頃は、ただ忙しなく子育てと仕事を繰り返し、自分のことは後回しの毎日。自分のことなんて振り返る余裕はなかった。ただ、今を生きるのに必死だった。

 

ZABに出向して丸1年が経った。

東京と地方の”デュアル”生活を始めてみると、東京には東京の良さがあり、地方には地方の良さがあることに気づく。私のように、元々地方の良さを知っている人間には、「都会だけ」あるいは「田舎だけ」とどちらか一方だけを選ぶことは難しい。

以前、あるシンクタンクの面接で「地方は、都会と違って人の温かさがある」と“言わされた”ことがある。面接官がその答えを望んでいることは薄々感じたのだけれど、私がそのセリフを言わないものだから、彼の質問は誘導尋問のように変わっていった。それまで2つのペーパー試験をクリアし、この面接が最終試験。全国1700ある自治体から30人を研修生として選ぶというもので、おそらく男女比、田舎の規模感から、彼らは私を最終合格者にしたかったのだろうと思う。

「本当にそう思ってるの?」と一人突っ込みしながらも、合格のために、望まれた答えを発した自分がいた。

 

地方は、海や山など自然豊かな場所が多い。特に、生まれた街、育った故郷の自然は、ただそこ在るだけで一体感を抱く。自分を育んでくれた地域の人々や見慣れた町並みに、無条件の愛を感じる。

ただ、言わずもがなかもしれないが、地方が“桃源郷”であるという先の面接官のようなイメージは“幻想”であると、敢えて書き添えたいと思う。

誤解を恐れずに言うと、地方だからといって、都会よりも情に厚く助け合って生きていると一概には言えない。むしろ、その土地の生き方にそぐえば受け入れるが、自分たちとは違う「新しい生き方」は受け入れられないという人が少なくないようにも思う。

つまり都会も地方も、人と人との関係性、まちの課題や困り事は大差ないのではないか。まちは、人口の大小ではなく、同じ人間(人類)の行う日々の営みの集合体なのだからやはりそうだろうとも思う。

 

実際、私は地方で子どもを育てるのが大変だった。

地方で子育てのSOSをしたくても、サービスは選ぶほど多くは無く1つ見つかればよい方。いつも供給過小の状態だった。むしろ、都会の方が民間の力も育っているのでサービスの種類も多い。選ぶ側に立てることはもちろんだし、サービス同士が競い合っているので意外と安価で受けることができる。

特に、息子が小さいときは、息子を安心安全に預かってくれる代わりに、私は何を言われても平気でいないといけなかった。職場で起きている特別な事情は聴かれもせず、「女なのに、そんなに仕事をしたいのか」と心ない言葉を浴びせられたことは何度もある。「お母さんがそんなのだから、息子さんは落ち着きがないのよ」と、寒い廊下で延々言われたこともある。今の私なら笑って過ごせるかも知れないけど、当時はその11つに傷つき、自分を責めていた。(後編に続く)

 

 


筆者と息子の手作りシーサー。新しい年は今帰仁村でスタート。

いけ

いけ 別府生まれ・別府育ち。趣味は海鑑賞・ヨガ・寝ること。

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