(第十三回)想像から生まれるもの 2019.2.11

人は想像する。想像力を使って他者を理解し共感する。
とはいえ、これは簡単ではない。自分ではない人の気持ちを慮るのだから、大きく外れてしまうこともしばしばある。
ただ言えることは、相手のことを理解したいと思うとき、私たちは自分の知識と過去の経験を総動員して懸命に想像力を働かせる。

 

“創造”もそうだ。何も無いところからは生まれない。自らの知識と教養そして経験を材料にとことん考え、その産物としてふとした瞬間にアイデアが閃く。素晴らしい発見をする人は、常日頃から考え続けている人たちばかりだ。無意識のレベルまで考え抜かねば、何かをクリエイトすることはできない。それは顕在意識の願いとは裏腹に、すぐにやってくるときもあればそうではないときもある。

 

私はZAB(全国空き家バンク推進機構)という窓から社会を見る。この組織が世の中のために“何を”成し遂げるべきか常に問い続けている。解決困難な課題と向き合う度に、自分の知識・教養、そして経験が圧倒的に足りないことに焦る。しかし、今できることを少しずつ「勉強」していくしかないと、再び等身大の自分と向き合う。
空き家を“空き家だけの世界”で眺めていても何も変わらない。私たちZABは、空き家と様々な社会課題を結びつけることで、空き家問題の新たな解決法を探ってきた。この1年はまさに無我夢中だった。
2年間の出向の折り返しに突入した今、私は、ZABの次のステージを考えている。

 

ZABが果たすべき役割を思考するとき、私が思い返すのは市役所の窓口で出逢った住民ひとりひとりの顔だ。皆、様々な悩みを抱えていた。話を聴く度に私の心は深く傷つき、様々な家庭があることを知らずにこれまで生きてきた自分が恥ずかしくなった。
特に、今も私の頭と心の片隅に常にあるのが子どもたちの笑顔だ。子どもは、生まれる家庭や環境を選べない(…選んで生まれてくるという説も唱える人もいますが)。その子の努力とは無関係に、親からの愛を受けられなかったり、家の中でも恐怖に怯えたり、寒さや空腹に苦しむ子どもたちが、この日本にいる。負の連鎖を断ち切る武器となる“勉強”の機会を、親から取り上げられている子どもたちがいる。そんな家庭が、どのまちにも、そして自分たちの暮らしのごく身近にも存在していることを知った。

 

全国を飛び回り、公も民もそのトップたちと話をする機会を頂く今は、端から見ると華やかに見えるかもしれない。けれど実際は、子どもたちそしてその親たちのことが常に私の中にはある。空き家とは一見結びつかないかもしれないけど、私はZABとして、これまで市役所の窓口で出逢ってきた“現実”とこれからも向き合っていく。
だからといって、今はまだどうしたらよいのかその妙案は浮かばない。けれど、諦めずに考え続けていたらいつか突破口が開ける。そんな、根拠のない自信はある。
この思いは、私の経験に基づく私的なものだと言われるかもしれない。しかし、変革やイノベーションというのは、大なり小なり私たちの持つ温かいリアルな感情から生まれるものだと思う。

 

私は、息子のおかげで母となり、世の中の見え方が変わった。
“子どもたち”のことが気になり始めたのも、その頃からだ。道を歩く子どもたちが愛おしく思え、この子たちが笑顔でありますようにとそんな思いが湧き上がってくる。僅か10年ちょっとの経験にすぎないけれど、子育て中の親の大変さも分かるようになった。これまで順風満帆とは言いがたい様々な試練を与えられてきたが、これらの経験は、考えようによっては、私が社会の役に立つための材料になるのではないかとも思う。日常の困り事の中に、世の中が求める解決すべき課題が潜んでいると感じるからだ。

 

そんな時、千葉県野田市で女児虐待死亡事件のニュースを知った。大阪出張中だった。
そろそろ眠ろうかと思っていたとき、アナウンサーの言葉が否応なしに耳に入ってきた。「自宅浴室で死亡している女児を発見。父親による虐待か。」女の子は息子と同じ10歳。私は、息子と重ね合わせ、その夜気持ちのやりどころが見当たらなかった。

 

事件発覚から2週間経ち、少しずつ女児が過ごしていた日常が明らかになってきた。私たちは、父親の女児への言動を見聞きしながら、「ひどい親がいるものだ」「自分はこんなことしない」と言う。女児が答えた「いじめアンケート」が父親の手に渡っていたことが報道されると、教育委員会に抗議の電話を掛ける。新聞、テレビで報道されない日はなく、参院予算委員会で安倍総理もこの事件について触れた。

 

そんな世の中のパターンを眺めながら、何か、私の心に引っかかるものを消せずにいる。それは強烈な違和感に近いかも知れない。
例えば、“自分とは違う”特殊な父親・“自分なら犯さない”教育委員会の重大なミスに焦点を当てることで、あの事件を特殊な事例として自分たちの生活と切り離す作業を進めていないだろうか。私たちが最初に受けた衝撃や恐怖、女児への共感を、別のターゲットを創り出すことによって“昇華”させていないだろうか。

 

もちろん、組織の欠陥や現行制度に不足しているものを発見し、二度と繰り返さないための方策を打つのは当然である。そのためには、事実を明白にし、具体的事象を抽象化する作業は必要だ。どんな仕事でも同じ事が言える。

 

ただ、「あの父親が特殊であって、大多数は本当にそうではない」のか。「あの職員の行動、あの教育委員会のミスが特殊であって、大多数の組織はそうではない」のか。
そんなことはない。同じような境遇の子どもたち、常軌を逸した言動をする大人たちは全国どこにでも等しくいて、私たちのごく身近にも、彼らは“彼らの日常”を過ごしている。私たち自身が、今まさに“気付かない隣人”あるいは“黙認する住民”の一人であるかもしれない。そして私たち自身が、あの女児と同じ、もしかしたらあの父親と同じ立場になるかもしれない。
また、あの職員の行動は確かに組織が起こした重大なミスではあるけれど、“ヒヤリハット”は他にもあり、これは氷山の一角なのかもしれない。組織の根源的な欠陥と向き合わねば、この事件の関係者を処分し、この職場に厳格なマニュアルを増やし、公務員が“研修”を受ける機会を増やして終わってしまうかもしれない。

 

こんなことを想像すると、私は心配になる。
今を生きる私たちは、いつかまた想像を止めることで忙しない日常に戻ることができる。しかし、それと同時に忘れられていくあの子の痛みや苦しみ、そして悲しみはどこへいくのだろう。私たちの心をあの子から離してしまっては、世の中に“変化”は起きないのではないか。
私たちは、本当に解決したいと思っているのだろうか。

いけ

いけ 別府生まれ・別府育ち。趣味は海鑑賞・ヨガ・寝ること。

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