(第二十五回)「災害ボランティア」と私 2019.9.9

828日(水)、朝のニュースに目を疑った。
NHKアナウンサーは「佐賀県武雄市」を連呼し、中継映像には、何十台もの車が水に沈んでいる様子が映し出されていた。その車中で尊い命が失われたということも報じていた。
くしくもその日は、第一回応援村実行委員会の翌日で、昨日こそ、武雄市から貝原医師や武雄市職員が実行委員として会場のある鳥羽市にいらしていた。彼らが笑顔で帰っていったそのまちの様子は、出発したときとはまるで別の顔に変わっていた。

 

佐賀県武雄市・大町町を始め九州北部が大雨災害に見舞われたことは、私自身同じ九州の人間として、また私たちの大切な仲間である役場職員、地域住民の皆様の顔を思い浮かべると、全く他人事ではなく胸が痛んだ。

 

その日の朝から、私のところには色々な声が寄せられた。
応援村実行委員からは「今こそ、困っている人や自治体を応援したい」。
ZABが連携している民間企業・自治体の皆様からは「何か足りない物があればすぐに送るから言って欲しい」。
これまで一緒に仕事をしてきた現地の市職員からは「災害は起こって初めて分かることが多い。今は行政としてやるべきことも多く、とても大変な状況だ」。

 

そして、私がハッとしたのは、地域で生きている人からの言葉だった。
「物では無く、人が圧倒的に足りないのだ。家の中に泥が残っており生活も仕事もままならない。私の実家も被災した。あなたは何も分かっていない」そう言われ、私はガツンと殴られたような感覚を覚えた。
同郷の、今やスーパーボランティアとも呼ばれている尾畠春夫さんが「みんな沈んでいるときだからこそ、私は笑顔でボランティアをする。被災した人たちには、明るく上を向いて欲しい」そう言っていたことを思い出した。
確かにそうだ。
3年前、熊本大分地震で私の故郷・別府市が被災したときのことを思い出した。
翌日には様々物資が届き、物にはさほど困っていなかった。強いて言えば、水や食糧など生きるための最低限必要なものは集まりすぎて倉庫が溢れかえる一方、簡易ベッドや女性の着替え場所、子どもたちのエネルギーの発散場所など、長い避難生活をより快適にする物や場が足りないという状況だった。
武雄市の場合は、過去に大水害の経験がほとんどなく、今回の急な環境の変化、無差別に襲い来る自然の脅威に、多くの住民がショックを受けていることは感じ取れた。
私は、「人が足りない」その「人」になろうと決めた。

 

「災害ボランティア」
これは、私とは別の世界の話だと思っていた。
誤解を恐れずに言うと、「自分ではない人」が行くものだと思っていた。
全国で災害が起きる度に、私の職場(別府市役所)からも災害ボランティアが派遣されていた。私は、小さな我が子をおいて家を空けることは、まず不可能だった。それだけでなく、職場から派遣されていく職員たちは、屈強な体つきの男性がメインで、明らかにタフな力仕事を求められているのだという印象。私では現場で足手まといになる、そう思っていた。

 

96日(金)都内の仕事を整理し、朝一と最終便のフライトを確保。職場に休暇届を出し武雄市へ向かった。
小学6年生になった息子は、朝5時半に目覚ましをセットし私を見送ってくれた。

 

「災害ボランティア」と私
「災害ボランティアセンター」にできたボランティアの列(@佐賀県大町町)

いけ

いけ 別府生まれ・別府育ち。趣味は海鑑賞・ヨガ・寝ること。

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