困難でも、自分が好きな道を歩む高田智子さん
Release:2018.11.11

困難でも、自分が好きな道を歩む

ー高田さんのお生まれは、この近く(運天区)ですか?

私はこの土地の生まれではないんです。乙羽(おっぱ)トンネルの近くで生まれました。
主人は東京の出身でね、35年ほど前に「沖縄で農業をしたい」と来たの。
当時は、渡喜仁(ときじん)に馬で引いてる鋤があってね、「こういうのが残っている地域が素晴らしい」と言ってね。
「手つかずの自然が素晴らしい」とも言ってた。
主人は、在来の豚、在来の馬、在来の山羊、在来の犬、つまり「種の保存」に携わっている人だったの。

ーお子様が今帰仁村に戻ってきて、今は一緒に暮らしていると伺いました。

子どもが2人いてね。
長男はサラリーマンをしていたけど、「子育ては、自分が育った環境でしたい」そう言って戻ってきたの。
私は「継がなくていい」と言ったけど、本人がその道を選んだ。
今は、孫が3人いるのよ。

長男だけじゃないの。
次男は、5年間留学と大学院を経て、「兄と父親と農業をしたい」と戻ってきた。中学から鹿児島の中学に通うって家を出たのにね。
やっぱり、父親の背中をみて育ったのね。

子どもたちには「困難でも好きな道を選びなさい」そう言って育ててきたの。
「好きな道で自立して欲しい」と常々言ってきた。
農業は、自然との闘いでしょ。大変よ。でも、どうにか頑張ってるわ。

ーお子様たちが戻ってくるほど、ここは「子育てをしやすい」環境なのですか?

息子が「この村で(この環境で)、子どもを育てたい」と言ったとき、正直、私は親として、地域の先輩として、とても嬉しく思ったの。

自然が残っているから「こういう環境で子どもを育てたい」というのはもちろんあるだろうけど、それだけじゃなく「人的な環境」もあるんじゃないかな。
私たちの頃は、夫婦単位で子育てに関わるのが当たり前だった。子どもたちは、大切な宝。みんなで見守ろうという意識ね。それを息子たちも敏感に感じ取っていたんでしょうね。
「公民館が大好き」って言うものね。まさに、集うところだもの。
息子たちからすると「地域の人たちみんなが育ててくれた」という感じなんだと思う。今でも息子たちは「あのおじちゃんが大好き」「あのおじちゃんによくしてもらった」って言うものね。

「開発」とか「発展」とか言うけれど、私は個人的には、手つかずのままの自然というのは大切にしたいと思うの。例えば、「植栽」ね。その地にあるものを、あるがままの状態で保つ。
豊かさを求め、人は自然に手を加えるけれど、その弊害は必ずある。護岸工事をすると、潮の流れが変わり、侵食する。自然に逆らっていると思うのね。極力自然を残してもらいたい。護岸に絵を描くことは止めて欲しい。
この村の良さを、子や孫に引き継いでいきたいね。

interviewer:IKEGAMI





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